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2017/5/22ラジオ深夜便曲目

ボブ・ディラン   2017/5/22ラジオ深夜便曲目   ボブ・ディランさん名前だけは存じあげております。mp3   http://fast-uploader.com/file/7050961886280/  ダウンロード








平成29522

ボブ・ディラン

70年代男性フォーク歌手作品集





アイ・ゲス・アイル・ハフ・トゥ・チェンジ・マイ・プランズ

ボブ・ディラン


ワンス・アポン・ア・タイム

ボブ・ディラン


ザット・オールド・フィーリング

ボブ・ディラン


マイ・ワン・アンド・オンリィ・ラブ

ボブ・ディラン


ブラッギン

ボブ・ディラン


時の過ぎゆくままに

ボブ・ディラン


イマジネーション

ボブ・ディラン


ホェアー・イズ・ザ・ワン

ボブ・ディラン


デイ・イン、デイ・アウト

ボブ・ディラン


センチメンタル・ジャーニー

ボブ・ディラン


ジーズフーリッシュシングス

ボブ・ディラン


スターダスト

ボブ・ディラン


ホワイ・ワズ・アイ・ボーン

ボブ・ディラン





雨が空から降れば

小室等


生活の柄

高田渡


カレーライス

遠藤 賢司


黒の舟歌

長谷川きよし


だれかが風の中で

上條恒彦


青い空の日

シバ


ウイスキーの小瓶

みなみ らんぼう


春のからっ風

泉谷しげる


プロペラ市さえ町あれば通り123

中川イサト


通りゃんせ

佐藤公彦






ーーーー抜粋ーーノーベル文学賞ボブ・ディランのスピーチの全文訳は以下の通り。

「みなさん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーやその他、本日出席されている名高い方々に最もあたたかい挨拶を送ります。

実際にその場にうかがうことができなくて、すみません。でも、心の中では間違いなく一緒にいますし、このような誉れ高い賞をいただいて光栄だと思っていることを分かっていただければと思います。ノーベル文学賞を受賞するなどとは想像も予想もしていませんでした。若い頃から、この賞に値すると見なされてきた人たちの作品を読み、親しみ、吸収してきました。ラドヤード・キップリング、ジョージ・バーナード・ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、アーネスト・ヘミングウェイ。こうした文学の巨人たちの作品は教室で教えられ、世界中の家の本棚にあり、敬意のこもった口調で語られ、そうした方々に常に深い感動を与えられてきました。そのような方々に仲間入りを果たしたことは本当に言葉もありません。

これまでの受賞者の方々がノーベル賞の栄誉について自分に値すると考えたかどうかは分かりません。でも、私は想像するのです。本や詩や戯曲を書く人は世界中の誰でも心の内側深くにある秘密の夢を抱いているかもしれないと。それはおそらく心の深い部分に埋められているので、そこにあることさえも分からないものなのです。

誰かにノーベル賞を受賞するほんの僅かな可能性が自分にあると言われたら、それは月面着陸と同じくらいの倍率だと考えなければならなかったでしょう。実際、私が生まれた年(1941年)やその近辺の数年間は、世界中の誰もノーベル文学賞に値する人はいないと受賞者なしになっているのです。控えめに言っても、貴重な人々に仲間入りしたと感じています。

受賞の知らせを聞いた時、私はツアーに出ていました。ちゃんと受け止めるのにしばらく時間がかかりました。私は偉大な文学家、ウィリアム・シェイクスピアについて考え始めました。彼は自分のことを劇作家と考えていたのだと私は思っています。彼は自分が文学を書いているんだという意識はまったく頭になかったでしょう。彼は演劇のために言葉を書いていたのです。つまり話されるもので、読まれるものではなかったのです。彼が『ハムレット』を書いている時、彼はいろんなことを考えていたと私は確信しています。『この役に合う役者は誰だろう?』、『これはどうやってステージにすべきか?』、『デンマークを舞台にしたいのか?』など。彼のクリエイティヴなヴィジョンや野望は、間違いなく彼の念頭にあったものでしょう。でも、考えたり、対処しなければならない世俗的な事柄もあったと思うのです。『資金の手当ては大丈夫なのか?』とか、『自分のパトロンにちゃんとした席はあるのか?』とか、『骸骨はどこで手に入るのか?』とか、そういうものです。『これが文学か?』という問いは彼の意識のなかで最も遠いところにあったと私は思っています。

私が10代の時に書き始めた時、そして、私の才能についていくらかの名声を得始めた時、自身の曲への志もそういうものでした。楽曲はコーヒー・ハウスやバーで聴かれるものであり、後にカーネギー・ホールやロンドンのパラディウムで聴かれることになるかもしれないとしか考えていませんでした。ビッグになることを夢見ていたとしても想像できたのはレコードを作ることと、自身の曲をラジオで聴くことぐらいでした。それこそが私の頭の中では大きな賞だったのです。レコードを作って、自身の曲をラジオで聴くことはより大きな聴衆に届くことであり、自分が試みてきたことを続けることができるかもしれないということでした。

そう、それで私は自分の試みを長いこと、今まで続けてきたのです。数十枚のアルバムを作り、たくさんのコンサートを世界中でやってきました。でも、私がやってきたことのぼぼすべての中心にある不可欠なものは楽曲でした。私の曲はたくさんの様々な文化を通じて、たくさんの人々の人生の中に住処を見つけたようです。これは有り難いことです。

でも、一つだけ言わなければならないことがあります。パフォーマーとして、私は50000人の前でも、50人の前でも演奏してきました。でも、50人の前で演奏するほうが難しいのです。50000人の人々は一つのペルソナとなります。50人はそうはいきません。それそれの人が個人であり、別々のアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持っています。彼らはよりクリアに知覚することができます。自身の正直さや、それがどう才能と結びついているかを試されているのです。ノーベル委員会が非常に少数だというのは私にはよく分かります。

しかし、シェイクスピアのように私もクリエイティヴな冒険の追求や人生の世俗的な事柄に対処することに支配されてしまうことがあります。『この曲に合う最高のミュージシャンは誰だ?』、『適切なスタジオでレコーディングしてるのか』、『このキーは曲に合ってるのか?』、400年経ってもかわらないのです。

私は『自分の曲は文学なのか?』と問いかけたことはこれまでありませんでした。

だから、スウェーデン・アカデミーには感謝します。その大きな問いについて考える時間をくれたこと、そして最終的にこんなにも素晴らしい答えをくれたこと、その両方に感謝します。

みなさん全員に幸あれ。

ボブ・ディラン」



by yume-sendai | 2017-05-22 07:37 | ラジオ深夜便 | Comments(0)

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